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2020/10/04付け発行のメルマガ再掲記事です。

今回は偉大な一人の女性の情報をお届けしたいと思います。

 

2020年9月18日、米連邦最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグ判事が亡くなられました。

彼女は、1993年3月15日にビル・クリントン大統領から米連邦最高裁判事に指名され、2020年9月18日に死去するまで、27年間にわたって、連邦最高裁判事の座にあり、性差別の撤廃を求めるリベラル派判事として活躍され、女性の権利向上に大きな役割を果たされた方です。

弁護士時代から、女性やマイノリティの権利発展に努めたのみならず、男性を含めた性差別撤廃などに目を向け、男女平等を巡る裁判6件を最高裁で争い、うち5件で勝訴するなど、男女差のある法律を一つ一つ覆してきた方です。

 

米国の連邦最高裁では、リベラル派・保守派判事の構成状況によって妊娠中絶や銃規制など重大な憲法判断が大きく揺れ動くため、もともと連邦最高裁判事の去就は一般社会の注目を集めているのですが、とりわけギンズバーグ判事は保守化した連邦最高裁においてリベラルな判断を示す貴重な存在であること、また慣例を破って一般メディアの取材にしばしば応じることなどから、性差別とたたかうリベラル派法律家の代表格として広くその動向が注目されていた方なのです。

 

私がギンズバーグ判事について、初めて情報を得たのは、次女(史子)からです。「ママ、飛行機の中で観たドキュメンタリー映画“RBG最強の85歳”に出てくる米連邦最高裁判所判事のルース・ベイダー・ギンズバーグさんの生き方は、ママと重なるところがある。絶対観たほうがいいよ」と言われたのです。日本でも2019年5月に公開されたのですが、なかなか都心に出る機会がなく、結局U-NEXTで観ました。若き弁護士時代からアメリカの法を変え、最高齢の判事となったルースの軌跡を、家族や友人、同僚へのインタビューを基に作られたドキュメンタリー映画で、彼女の素顔に触れつつ、終生、ニューヨーク州の敏腕弁護士でありながら彼女を支え続けた、夫マーティンのすばらしさも光っています。

働く女性の伴侶はこんな人がいいなと思いましたが、それは宝くじに当たるより難しいとも思いました。

 

ルース・ベイダー・ギンズバーグ判事は、1933年、ニューヨーク市ブルックリンに生まれ、父親はオデッサ出身のユダヤ系ウクライナ人移民、母親はユダヤ系オーストリア人移民の子でした。彼女は、17歳の時にがんで亡くなった母親から、2つのことを教えられたそうです。「淑女であれ。そして自立した人になれ」と。コーネル大学に全額奨学金で進学し、そこでマーティン・ギンズバーグと出会います。彼女の卒業後結婚。ルースはマーティンのことを「彼は唯一、私の賢さを褒めてくれた」と言ってます。一時、夫の兵役のために、オクラホマ州フォート・シルに仕事を求めましたが、公務員試験で高得点を取ったにもかかわらず、タイピストとしてしか仕事を得ることができず、妊娠した時には、その仕事さえも失ったそうです。

2年後、夫婦は、ハーバード大学ロースクールへ進学。このとき500人超の全学生数に対して女子学生は9人。新入生の歓迎会で、教授は女性たちに対し、「君たちは本来男性が座るはずだった場所にいる」と言ったそうです。在学中夫マーティンが精巣癌と診断されたときには、3歳の子供、かなり病気な夫を抱えつつ、夫の分まで授業を受け、優秀な成績を残したそうです。そのころの睡眠時間は2時間!夫が卒業後、ニューヨークで職を得たので、彼女はハーバード大学のあるボストンを離れ、ニューヨークにあるコロンビア大学ロースクールへ編入学して、首席で卒業しました。しかし、女性というだけでどこの弁護士事務所にも受け入れてもらえず、連邦地裁判事のLaw Clerk(法務事務官)となります。ただしこのポジションも、法科大学院のトップレベルの卒業生が占める競争の厳しい世界のようですが。後に(2017年)、首都ワシントンのユダヤ教の礼拝所を訪れた際、彼女は「自身が、特にいじめられる立場にあるマイノリティの一員だとすると、同じような状況にある人たちに対し、共感を持つようになるのです」と述べて、アメリカ社会でマイノリティであったことが、自身の考えに影響しているという見方を示しました。

 

1963年、ラトガース大学ロースクールの教職を得て、同時にアメリカ自由人権協会に参加し、ここで米国社会に残る性差別の実態に現場で接することになります。

 

 

連邦最高裁が、1971年、性によって差を設けた法律を始めて違憲とした裁判があります。母親を介護する独身男性が、ヘルパー代の税控除を認められず、「女性なら認められるのに、男性に認められないのはおかしい」と訴えた裁判(72年判決)です。ギンズバーグさん自身が弁護士として法廷で差別の不当性を争い(そのころの法令では、控除は、女性、または未亡人または離婚した男子によってのみ請求することができるとなっていた)、「男女に平等に適用されるべきだ」と主張し、勝訴しました。

1972年、コロンビア大学ロースクールの女性で初の常勤職員となります。弁護士としては、自由人権協会で女性と男性の権利を均等にする法廷闘争を数多く手がけ、性差別と戦う法律家として全国的な名声を博することになります。

1980年、カーター大統領によってコロンビア特別区巡回区連邦控訴裁判所判事に任命されます。ここで、ギンズバーグさんは、特に意見が鋭く対立する事件で法的な中立性を堅持する姿勢によって高い評価を得ます。

1993年、クリントン大統領は面接でギンズバーグさんを気に入り、連邦最高裁判事に指名します。彼女は上院の公聴会で自らの意見を述べたあと、賛成96、反対3で正式に承認されたのです。実は、この時、彼女をクリントン大統領に推薦し、ロビー活動を行っていたのは、彼女の夫(ニューヨークの凄腕弁護士:税法)でした。

 

年月を経て、ギンズバーグさんの法廷での地位が年功序列になるにつれて、彼女の役割も大きくなって行きましたが、彼女は1999年に大腸がん、10年後に膵臓がん、2018年に肺がん、2019年に再び膵臓がん、2020年に肝臓への転移と大きな病気を繰り返しました。その中で、彼女にとって常に心の支えになっていたのは仕事と亡き夫マーティンへの愛。2010年に亡くなった夫のマーティンは「僕は妻には法律的なアドバイスはしない。その代わり、彼女は僕に料理のアドバイスをしないんです」と言ってます。料理をするのはマーティンで、実は、彼女は料理が大の苦手。ドキュメンタリーの中でも、そのことは、お子さんたちのコメントで裏付けられていました。

 

トランプ大統領は、2017年の就任以降、保守派の判事2人を相次いで指名し、最高裁の構成は保守派が5人、リベラル派が4人となっています。2020年9月26日のNHKの報道では、トランプ氏が連邦最高裁判事にエイミー・バレット連邦高裁判事(48歳)を指名すると発表したとのことです。議会上院で承認されれば、最高裁の構成が圧倒的に保守化することになります。ギンズバーグ判事の死去を受けて野党・民主党は「後任の判事選びにはアメリカ国民の声が反映されるべきで、大統領選挙の後にすべきだ」と主張しています。しかし、上院で多数派の共和党は、トランプ大統領が指名する後任判事を議会上院で速やかに承認する構えを見せています。

 

最後に彼女は数々の名言を残しています。是非下記のURLにアクセスしてください。

ルース・ベイダー・ギンズバーグ最高裁判事が遺した12のパワフルな名言:

https://www.harpersbazaar.com/jp/lifestyle/womens-life/g34135418/ruthbaderginsburg-quotes-200924-hns/?slide=12

 

参考情報:

1.ウイキペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0

2.ルース・ベイダー・ギンズバーグ判事、87歳で死去|LIVEと猫と毛糸だま(1)

https://ameblo.jp/emineco/entry-12626139838.html

3.ルース・ベイダー・ギンズバーグ判事、87歳で死去|LIVEと猫と毛糸だま(2)

https://ameblo.jp/emineco/entry-12626142612.html

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